【風は吹いているか 第 11 話】
 
『自分の中のみどり』　　　 高杉竜也
 
瞬く間に緑は濃くなる。
まだ大丈夫だろうと油断していると一週間後には浅い緑色がもう濃いそれに変化してしまう。
 
ポットに珈琲は入れた。
他に持つものは僅かな現金以外何もないはずだ。
今日、座るベンチは滝乃川学園の敷地内、教会の前にあるベンチと決めて部屋を出る。
ボランティアをはじめた。
いえ、ボランティアではない。
ごくごく微小な作業の一部分に触れさせてもらっているだけ。
 
石塚陽子は部屋を出てゆっくりしっかりと歩き始めた。
５ 月の緑はすぐに濃くなる。
急がなければ。
 
甲州街道を渡ると風が変わる。
学園の正門を入ると空気はさらに涼やかなものになる。
右手にライトグリーンのカフェがある。
 
二手に分かれ右の川沿いの道を選ぶ。
 
石塚陽子は肺に溜まっていた古く澱んだ空気をゆっくり口をすぼめて吐き出した。
緑の中でそれは浄化されこちらに戻ってくる。
 
青年と中学生くらいの男の子が手をつないでゆっくりと歩いている。
 
「こんにちは」
「こんにちは」
 
すれ違う。
 
右手に橋があり、その向こうに古い建物と小さな公園。
お父さんと小さな女の子が遊具で遊んでいるのが見える。
 
橋を渡らず、教会の裏手側にまっすぐ進む。
そして裏手から教会の表側に出る。
 
教会の正面のガーデンで土をいじらせてもらっている。
それ以上でもそれ以下でもない。
自分の中の植物系なものがそこにあるだけだ。
 
目的のベンチが見える。
 
先客がいる。
軽くお辞儀をし、失礼でない距離をあけて深く座った。
 
正面の建て物と樹々を見る。
バッグからポットを出す。
 

 
暫くして、ポットの珈琲を半分ほど飲み終えた頃、私の前に影が見えた。
 
「あなた、どこからきたの？」
 
先客の優しそうなおばあさんの影だった。
 
「矢川駅の向こうです」
「どこ？」
「国立西というところです。ご存じですか？」
「国立西？」
「はい」
 
風が強めになってきた。
 
「どこから来たの？」
 
それからしばらく同じ質問が続いた。
そして同じ答えを繰り返した。
１0 回ほど続いたかもしれない。
 
「どこから来たの？」
 
国立西から来たというのは不正解なのではないか。
私はどこから来たのか。
 
故郷は京都だ。京都といっても端の端。滋賀との境だ。
 
「おばあちゃんはどこから来たのですか？」
 
少し意地悪したくなった。
 
風はそのまま吹いている。
 
「・・・蝶々」
「えっ？」
 
目の前を少し遠く、黒い蝶が飛んでいた。風に流されるように。
 
「・・・ちょうちょ。いるよ。ほら」
 
石塚陽子は正面を見つめて驚いた。
風が見えた。
それは比喩ではなく、蝶の近くで川の流れのような風が本当に見えた気がした。
 
陽子は横を向き、その女性をじっと見つめた。
 
おばあちゃん、貴女はかっこいいよ。
どこから来ようが、どこに行こうが。
 

 
< 書いている人 >
高杉竜也  
息子と時々歩きます。
このベンチに初めて気づきます。
いつからあったのだろうか。
そこに主人公のひとりを座らせたらどんなストーリーになるのだろうか。
 
 
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