連載短編小説
【風は吹いているか 第
8
話】
『2月の太陽 真昼の月』 千野龍也
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今日座るベンチは谷保天満宮と決めて部屋を出る。
2月は春。雪が降ろうと。
2月から春を始めれば、人より少し長く楽しめる。
石塚陽子は甲州街道を渡り、鳥居をくぐり参道の左端を選んで歩いた。
歓迎されるかのように空気が澄んでくる。
意識してゆっくりと歩く。
自分の足音と樹々のかすれる音を確認する。
焦ってはいけない。
ここからは神聖な場所と時間だ。
何も持っていない私はせめてこれくらいはきちんとしたい。
手水舎で手と口を浄める。
階段の前で尾の長い鶏が目の前を横切る。
それを赤信号の歩行者のようにして待つ。
青信号になったら階段を降りる。
右に曲がれば本殿だ。
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遠くひとり先客がお参りをしている。
おそらく私が着く時には終わっているだろう。
その間には誰もいない。
グッドタイミング。
そう思っていたら、、。
長い、、、。
願い事をしているというより、何かを話しているという雰囲気だった。
掌を合わせながら。
陽子は待ちながら彼女の美しい後ろ姿を見つめていた。
淡い青。
その色褪せたデニムは彼女の後ろ姿のラインにとても似合っていた。
ようやく終わった。
デニムを履いた彼女は、振り返って申し訳なさそうに陽子の前に来た。
「ごめんなさい。長かったよね。後ろに誰も居ないかと思って、、、。」
「気にしないで。貴方の後ろ姿はとても綺麗で、私は飽きずにずっと見ていた」
「そう言ってくれてありがとう、、。じゃあ、、」
デニムを履いた彼女、加賀瑞穂は陽子の傍を通り過ぎようとした時、
陽子のブルゾンの右袖と瑞穂のダウンの右袖が触れた。
カサリという乾いた音。
石塚陽子は呼び止めた。
「あっ、ごめんなさい。私もこれからお参りするのよ」
「貴女はそれを待っていた」
「貴女が良ければ、ちょっと待っていてくれないかしら。
私はお参りを終えたら境内のベンチに座るの。そう決めて来たの」
「はい」
「貴女はこれから何か予定があるかしら」
「いいえ」
加賀瑞穂は戸惑った微笑みで、かぶりを振った。
「一緒にベンチに座って少しだけお話をしない。
あっ、なんかナンパみたいだけど」
石塚陽子は自分で言って吹き出した。
?
暫くしてふたりはベンチに座った。
運良くベンチの空くのを待つ人は誰もいない。
お互いの境遇と現在の立ち位置を差し障りない範囲で確認した。
「私たちはこれから友だちになれそうかな。
私の親友は福岡に帰ってしまったばかりなの」
「もちろん。貴女は福岡、私は京都。そしてここは東京国立。
いったいどんな縁でさっきは袖が触れたんだろう」
「さあ、何かあるのかな」
?
「2月の太陽」
石塚陽子は西の雲を見た。
「そんなふうになりたい。勝たなくていいけど負けたくない」
「真昼の月」
加賀瑞穂は東の月を見た。
「そんなふうになりたい。覚えてもらえなくてもいいけど覚えていたい」
「風が吹いている」
「気持ちいい」
ふたりは目を瞑った。
<書いている人 千野龍也>
それぞれの主人公がいつか交差するといい。
でもそれはもう少し先の話しではないか。そう思っていました。
当初の予想では、背の小さな可愛いおばあさんが石塚陽子の前にいるはずでした。
しかし、書き始めると予想に反して、そこには加賀瑞穂がいます。
こうして「私と遊びなさい」の石塚陽子と「くたばらない」の加賀瑞穂が交差しました。
背の小さな可愛いおばあさんについては、いずれまた。
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第7話 『デニムを履いたら大学通り』
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