【風は吹いているか 第6話】
『ホットココアをくださいな』 千野龍也
声が出ない。
何故!?
声が出ない。
名波さおりの額から冷たい脂汗が滲み出た。
注文しようとしたら突然声が出せなくなった。
数日前から兆候はあった。
何かを話そうとすると喉がつかえる。
そして今。
私は話せない。
初めての店。
席についてから5分経つ。
注文をせずに黙ったまま私はただ座っているだけ。
お店の人もまた同じように黙ったままカップを拭いている。
私は今年の冬をやり過ごす自信がない。
10分経った。
このままでは変な客になってしまう。
「ホ、ホット、、、」
出た。
目頭が熱くなる。
お店の人はこちらを見ない。
聞こえなかったのか。
聞こえないほうがよかった。
私が飲みたいのは珈琲ではない。
メニューを見ていない。あることを願う。
「ホット、、、」
少しの安堵感。
涙が滲み出る。
お店の人はこちらを見ない。
綺麗な凛とした姿勢。白髪は染めておらず、セーターの袖をまくった腕は細く、色が黒く、シミも多い。なのにとても美しい。
15分経った。
「冬は透明、、。なんちゃって」
お店の人は外を見てぽつりと言った。そして独りで笑った。
「ホット、、、」
「ホットココアをくださいな」
私は泣いた。
そして同時に大きく笑った。
くださいで止められず、くださいなと言葉が滑ってしまった。
可笑しくてお腹が痛い。
私は何歳なのだ。
「ごめんなさい。もう閉店でしたか?」
普通に話しができる。
落ち着いてくる。
外は北風。
「気にしないで。閉店時間なんてあってないようなものよ」
ココアが置かれた。
絵に描いたような普通のココア。
なにも細工がしていない。
カップに口をつけ、一口飲んだ。
「美味しいです」
「くにたち」
「はい」
「桜も綺麗だけど、冬もわるくない。私は好きよ」
「はい」
「すべてがクリアにされる。夏のようにはごまかせない」
「はい」
(なんなんだ、この女性は?!)
すべてが透明でクリアにされる。
夏のようにはごまかせない。
カウンターに積み木のようなカレンダー。
12月23日金曜日
(よっしゃ、別れよう。こりごりだ。もうこんなのは嫌だ)
「あの、、」
「なに?」
「また来てもいいですか?」
「いつでもどうぞ」
「明日も来ていいですか?」
「待ってるよ」
おそらく私はもう普通に話せるだろう。
私はもういい大人だ。
「くださいな」なんてまっぴらだ。
名波さおりは飲み終えたカップをソーサーにカタリと置いた。
泡のリングが美しかった。
私はこの冬を越せる。
思いっきり寒くなるといい。
<書いている人>
千野龍也
当初、男性のマスターを設定して書いたところ、とても説教くさくなり、それが延々と続きます。
これでは駄目だと思い、女性の店主さんに置き換え書き直してみると、すっきりしました。
もしメニューにココアがあったと仮定して、それを注文した場合。
または、メニューにないのにそれが注文できる関係性があったと仮定して。
その数分間にどんな物語が発生しうるのか。
ココアの写真を撮りたくて4軒目にやっと辿り着いた「JIKKa Cafe」の皆さまに感謝致します。
≪バックナンバー≫
【連載】短編連作小説「風は吹いているか」千野龍也
◎第1話 『30分で決められる』
http://ameblo.jp/kunitachihappyspot/entry-12180640222.html
◎第2話 『わたしと遊びなさい』
http://ameblo.jp/kunitachihappyspot/entry-12187524335.html
◎第3話 『9月になれば』
http://ameblo.jp/kunitachihappyspot/entry-12200072505.html
◎第4話 『ハッピースポット』
http://ameblo.jp/kunitachihappyspot/entry-12206663860.html
◎第5話 『さくら通りを10往復 秋』
http://ameblo.jp/kunitachihappyspot/entry-12217372602.html
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