短編小説
【風は吹いているか 第3話】
『9月になれば』
午前0時2分の中央線下り立川行きを名波さおりは国立で降りた。
火曜日のこの時間に降りる人は自分以外にほとんどいない。
大学通りを南に歩く。
月がついてくる。自分の歩調と同じ速さで、月がついてくる。
何年振りだろう。
固定された額縁のような月を見ることはあっても、今このように月と一緒に歩くのは何年ぶりだろう。
若い頃はよく一緒に歩いた。
木に隠れ木から現れ、木に隠れ木から現れ。
月と一緒に歩くのは、何年ぶりというよりも何十年ぶりなのかもしれない。
友人の藤田寛子と久しぶりに深夜まで飲んでいた。
「このまえ、ドラマを観ていたら、その中のCMがとても良くできていて、私はそれを繰り返し繰り返し観たの。ビデオに録っていたから」
「珍しい。なんのコマーシャルかしら」
「化粧品。貴方って不思議だわ、貴方って幾つなの?っていうフレーズを知ってるかしら」
名波さおりはそのフレーズを軽く口ずさんだ。
「知ってる。元気がでるわ。それを貴方は繰り返し繰り返し観たのね」
「うん。私はそこでCMの中の彼女が持っているものをひとつひとつ細部にわたって丁寧に数えていったの」
「そんな悪趣味はおやめなさい」
藤田寛子は笑いながらたしなめた。
「定番なところでは、素敵な旦那に可愛い子供、彼女に憧れるイケメンの部下。それ以外にも細部のディテールまで含めるとまだまだあるの」
「まあ、CMだから」
「うん。でも、私はやられたと思った。心地よく頬を叩かれたのよ」
風が吹いている。
南風が頬を撫でた。
「9月になれば君は救われると歌った人は誰かしら」
「小田和正」
「そう。昔、一度だけ二人でコンサートに行ったことあったね」
「うん、懐かしいね」
「9月になったけど、私たちは誰かに救われているのかしら」
「さあ、自助努力しろと言われるのではないかな」
二人は笑った。
「でも、さおりの姿勢はあの頃と変わらず、いつも美しいわ」
藤田寛子は名波さおりを正面から見つめ、唐突に真面目な面持ちでそう言った。
「ありがとね。了解、今日の支払いは私の奢りよ」
名波さおりは立ち止まった。
それに合わせて月も立ち止まった。
つきあいのよい月は、満月よりもほんの少し欠けていた。
吹いている風が心と身体に心地よい。
「綺麗な路、、」
正面を見た。
月と街灯の光、街路樹の影が、名波さおりの進むべき路を歓迎するように照らしていた。
私は私のままでここに居る。
この街に守られている。
その代わりに、私は何を守ってゆくのだろう。
少なくともそれは自分以外でありたい。
名波さおりは歩きはじめた。
< 書いている人>
千野龍也
国立を舞台にした掌編を国立ハッピースポットさんに書かせていただけることになった時、9月だけは既にタイトルを決めていました。
その人にとっての美しい日本語の響きがあるとした場合、
「9月になれば」
は私のベスト1に入る言葉の響きです。
本来なら「くが」で始まるその音はあまり美しくはないように感じますが、「9月になれば○○」の○○の中に、大袈裟にいうと多様性があり、それは1月でも4月でもない、8月終わりの9月にしか持ち得ない独自性のように思っています。
≪バックナンバー≫
【連載】短編連作小説「風は吹いているか」千野龍也
◎第1話 『30分で決められる』
http://ameblo.jp/kunitachihappyspot/entry-12180640222.html
◎第2話 『わたしと遊びなさい』
http://ameblo.jp/kunitachihappyspot/entry-12187524335.html
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