〜 「勉強」と「学習」は同じではありません 〜 その5
前回までに紹介した論語の原文を
すべて紹介します
子曰
学而時習之
不亦説乎
有朋自遠方来
不亦楽乎
人不知而不チ
不亦君子乎
最初の「子曰」は
「子」が孔子のことですから
先生はおっしゃった
ということです
次の4行は
前回まで考えてきたところで
今日は残りを考えます
普通の書き下し文では
人知らずして
チ(いか)らず
また君子ならずや
となります
普通の解釈は
学んだことの意味を
周りの人が知らなくても
腹を立てないのが
君子というものだ
というところです
けれどもそれまでの解釈が
少し違うので
私は次のような意味だ
と思っています
先生はおっしゃった
「学んだことを
あれこれと何度も試してみるのは
素晴らしいことだと思うよ
そうしていると
さっぱり分からなかったことが
スッキリ分かるようになる時が来るんだ
楽しい決まってるじゃないか
その楽しさを
他人が知らなくても
腹も立たないのが
君子というものだ」
腹を立てないのと
腹が立たないのは
まったく意味が違うでしょう
他の人が学ばないのに
腹が立つのは
自分ががんばって学んでいるのに
なんであいつは学ばないのだ
と思うからでしょう
自分から学習しているのではなく
やらなければいけないことを
がんばって勉強していると
腹が立つのでしょう
自分から学ぶ喜びを
味わっているのなら
人が学ばないことを
あわれに思うことはあっても
怒ることはないでしょう
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