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2013年10月05日(土)
どうして「勉強」は面白くないことが多いのか
[つぶやき]
今日は
「勉強」という言葉について
考えてみました
「勉」という字は
「免」と「力」をあわせた字です
「免(まぬが)れる」とは
好ましくないことに
出会わないですむことです
したがって
「勉」というのは
好ましくないことに
出会わないように
力を入れて
がんばること
という意味でしょう
「強」には二つ意味があります
ひとつめが強いこと
この意味で考えると
「勉強」というのは
嫌なことに出会わないように
力を入れてがんばって
強くなること
なのかもしれません
「強」の二つ目の意味は
「強いる」であり
無理にさせることです
そうなると
好ましくないことに
出会わないように
無理に力を入れさせてでも
がんばらせる
ということになるでしょう
江戸時代には
商人が値段を安くすることを
「勉強する」と言っていたように
「気の進まないことを無理にさせる」
という意味で使われていたようです
明治以降は
学制が発布され
すべての国民が小学校に入って
勉強することを奨励され
「学習」と同じように
使われるようになったそうです
とはいっても
江戸時代に寺子屋に行った子どもは
それほど多くはなく
農家などでは
子どもも大事な働き手だったので
なかなか学校にも行かなかったようです
国の命令によって
学校に行かせることが主だったので
欧米列強の属国にならないよう
日本の国を豊かにし
強い軍隊ももてるようになるために
気が進まなくても学校に来させ
読み書きそろばんを身につけさせる
というねらいが強かったのかもしれません
上官が標準語で命令しても
部下が理解できなければ
戦争はできませんから…
時代は移って
戦争に負けて
民主主義にになった日本でも
「勉強」というと
自分からすることではなく
決められた教科書を学ぶこと
という意味では
やっぱり
好ましくないことに
出会わないように
無理に力を入れさせてでも
がんばらせる
ことには変わりがないような気がします
そう考えれば
「勉強大好き」
という子どもが少ないことが
当たり前に思えるからです
〜 つづく 〜
[ameblo]
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