6歳でも3歳でも
人はそれなりに
この世界がどんなものか
という感じを抱いています
この感じが
一人ひとりの世界観です
もちろん世界は
一人の人がつかみ取れるほど
わかりやすくはないし
小さくもありません
生きるということは
その世界とかかわりを持つことなので
生きている限りは
知らなかったこの世界の一部と
出会い続けることになります
それは
わかっていると思っていたことが
実はあやしかったとわかることであり
世界観が少しずつ広がっていくことです
それがうまくいくためには
あやしいと感じたことを
よく見て考えることが大切です
大阪生まれの私は
納豆が食べ物だとは知っていましたが
食べたことはありませんでした
匂いをかいでも
糸を引く有様をみても
食べる気にもなりませんでした
それが劇団に入って
いろいろな人に招かれるようになり
食事に納豆が出されると
食べないわけにはいきません
そこで
覚悟を決めて
食べてみたのですが
とてもおいしいとは思えませんでした
相手の方はおいしそうに食べているので
その場ではがんばっておいしそうに食べましたが
とてもつらい体験でした
その後
劇団のメンバーに相談して
卵焼きに入れたり
チャーハンにしたりと
いろいろ挑戦してみましたが
やっぱりダメでした
いまだに私には
食べ物だと思えない納豆ですが
おいしい人たちもいるという事実は
ちょっと驚きでした
同じ人間なのに
こんなにも違うのかと
しかし
よく考えてみると
食べ物の好き嫌いは
誰にでもあるわけです
私の父は
私が好きなゴボウが
食べられません
私の妻は
納豆が大好きです
一人ひとりの人の間には
ものすごく大きな感覚の違いがある
というのは当たり前の事実です
でもそれを
心から納得することは
少なくとも私には
優しいことではありませんでした
人間というものは
少しずつしか
この世界がわからないものだ
と思うのです
わかるためには
考えては実験してみて
結果をみて考えて
また実験して
また結果をみて考える
という繰り返しが
学ぶということなのだ
と思うようになりました
そんなわけで
まなびばでは
答あわせをすることを
大切にしているのです
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