生まれたばかりの赤ちゃんは
自分がお母さんとは違う
別の人間だとは
かんじていないでしょう
もちろん
おなかが減ったり
気分が悪かったりしたときに
お母さんが
求めていることに
応えてくれなければ
泣いて訴えるでしょう
でも
求めていることが
手に入れば
安心するでしょう
また
お母さんが悲しめば
悲しくなり
お母さんが喜べば
うれしくなるでしょう
お母さんと
文字通りつながっていて
同じように感じて
生きているように
私にはみえます
3歳くらいになる頃から
お母さんが悲しくても
自分が悲しくなかったり
自分が悲しくても
お母さんが悲しくなかったり
ということがあると
わかってくるのでしょう
そうなってはじめて
自分の気持ちや
自分の思いを
伝えるたり
相手の気持ちや
相手の思いを
分かるために
言葉を使うことに
心をくだくように
なるのではないでしょうか
道具としての言葉を
どう使うのかを
子どもなりに
工夫したり
振り返ったりして
磨きはじめる
それが
学びの始まりではないか
と私は思っています
それまでは
真似をしたり
適当に話したら
うまくいった
といった
いわば偶然のできごとで
自分から学びたい
という気持ちは
まだ強くなく
遊びに近いのではないか
と思うのです
というのも
やってみて
その結果を振り返り
次のやり方を考えて
またやってみる
という繰り返しが
人間が学ぶということだ
と考えているからです
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