明治政府が発足したのが
1867(慶応4)年12月9日の
王政復古の大号令だと考えれば
翌1868(明治1)年の鳥羽伏見の戦いから
1969(明治2)年の五稜郭陥落まで
約1年半は国内統一への内戦状態でした
北海道は
旧幕府軍が一度は支配を確立し
選挙によって榎本武揚を選び
アメリカ・ロシア・プロシアなどと
交渉をしたりしました
このいわゆる「函館政府」も
一年ほどで制圧されたわけですが
日本国内を平定するためにも
かなりの殺し合いが必要だった
ということです
もちろん
徳川幕府が治めていた日本を
天皇を中心とする明治政府が
改めて支配を確立したのですから
それは「内戦」だと言っても
間違いではないでしょう
国内のイザコザとしての殺し合い
と言えなくなるのは
沖縄をめぐっての
清国とのイザコザからかも知れません
琉球王国は
1429年から続いた国でした
1609年には薩摩藩が首里城まで進軍し
和睦して薩摩藩の属国扱いになりました
それでも琉球王国は
明にも清にも
貢物を届け続け
いわば二股の属国状態でした
またペリーも琉球に行き
日米修好通商条約が締結された1858年を
4年もさかのぼる1854年に
琉米修好条約を締結しています
つまり琉球王国は
明治維新のずっと以前から
日本とは別の国だったのです
1872(明治5)年に
日本政府は琉球藩を置き
琉球国王の尚泰(しょうたい)を
藩王に指名しましたが
同じく琉球は属国だと考える清王朝は
強く抗議し認めませんでした
つまり
日本と清国との対立が深刻になったのは
満州事変よりはるかに以前からなのです
ちなみに
琉球王国は
沖縄県を設置した
1879(明治12)年に廃止され
日本になったのでした
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