8月6日は
広島に原爆が落とされた日なので
毎年いろいろな立場の人たちが
あちらこちら式典や集会を開きます
私も若い頃に
原水爆世界大会に
参加したことがあります
ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾は
それまでの火薬ベースの爆弾とは
まったく別の原理で爆発するため
その破壊力もケタ違いでした
人の影が橋に写るほどの高熱や
見渡す限りの建物を吹き飛ばす衝撃波
成層圏にまで立ち上るキノコ雲
けれどもその被害は
その時だけではありませんでした
何十年も経った後に
後遺症で苦しんでいる人もいます
私の親戚にも
原爆投下の後の広島市内に入って
後遺症を気にし続けていた人がいます
そんなわけで若い頃の私は
原爆を落としたアメリカ軍の
非常を責めたい気持ちが強かったのです
でも考えてみれば
いくらアメリカ軍が暴力的だと言っても
普通の国と国との関係から
いきなり原爆を落としたわけではありません
「太平洋戦争」が始まったのは
1941年の12月8日の真珠湾攻撃で
原爆を落としたのが
1945年の8月6日ですから
3年9ヵ月後です
その間にもいろいろなできごとがありましたが
実は日本がこの戦争を始めたのは
真珠湾攻撃ではありません
日本はそのずっと前から
中国で戦争を続けていたのです
つい数年前までは
その始まりをたぐっていけば
1931年の柳条湖事件になるのだろう
とばくぜんと思っていました
けれども最近
改めて歴史を勉強しなおしてみて
原爆が落とされるまでの
日本の戦争の歴史は
日清戦争の前からはじまるのではないか
と思い始めています
そういう角度から見れば
アメリカ軍が原爆落とす原因が
仮に100個あるとすれば
少なくともいくつかは
日本側にあることになります
さらには
「太平洋戦争」という名前も
インチキっぽい気がしています
アメリカ側から見れば
戦場は太平洋だけですが
日本の戦線は
満州から東南アジアにも広がっていたからです
地名を名前にするのなら
「東アジア・太平洋戦争」
とでもするべきでしょう
大日本帝国が主張していた
「大東亜共栄圏」を作るための
「大東亜戦争」の方が
まだ現実に近いかもしれません
もちろん
「大東亜共栄圏」という発想が
無謀な戦争と原爆を招いたわけですから
「大東亜共栄圏」を
私は肯定しません
さらには
朝鮮半島で実際に戦端を開く前にも
日本は戦争への道を歩んでいた
と思われます
西部劇の決闘ではない
近代以降のの戦争は
平時からあるひ突然に
始めることはできないからです
そして私は
もうすでに今の日本は
戦争への道を歩み始めている
と感じていて
その歩みを遅くしたり
反対の方向に向けたい
とも思っています
そのためにも
かつての日本が戦争への道を
いつからどのように歩み始めたのか
を気分や思想からではなく
事実から学びなおしたいのです
それは同時に
原爆の非人道性を考えるときに
原爆だけを見るのではなく
戦争や経済や外交の全体の中で
見なおすことにも
つながっています
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