「岡田さんはあの世を信じますか?」
と聞かれたので
次のようなお話をしました
* * *
「私(わたくし)が死ぬとはどういうことか?」
については
かなりまじめに考えたことがあります
結論から言うと
肉体が死んでも
私はなくならないだろう
と思っています
どうしてかというと
私と肉体とは別のものだ
としか思えないからです
私というのは
いまこうしてお話してる私のことです
この私は
脳を含めた肉体でできているとは
私にはどうしても思えません
そもそも
この生きている私の肉体も
かなり不思議な存在だと感じています
物理学に
熱力学第二法則というのがあるからです
おおざっぱに言えば
形あるものは崩れていくし
整理されているものは散らかっていく
という法則です
ところが人間の肉体は
ものすごく複雑な構造をしているのに
怪我をしても治るし
子どもはだんだん大きくなる
いずれ崩れていって
死んだ後には腐って
バラバラになっていくとしても
少なくとも成長期までは
どんどん大きくなるし
形も整っていきます
体中を中を循環する血液や
呼吸をして酸素を取り込み
二酸化炭素を吐き出すといった
驚異のシステムが
何も意識することなく活動しているから
私は考えることができます
これは物理学的には
とってもおかしなことなのです
もっと単純に筋肉だけを見ても
生きていなければ腐っていくものが
生きているというだけで腐りません
生きているということは
明らかに
熱力学第二法則に
真正面から逆らうことなのです
もちろん
食物連鎖や
太陽からの送られてくる
光のエネルギーを得て
宇宙に熱を出し続けている
地球全体のシステムを考えれば
全体としての熱力学第二法則は
ちゃんと成り立っていると思われます
それでも肉体が生きるということは
物理学的には「ありえない」ことが
連続して起こり続けることなのです
このありえないことを成り立たせているのは
「いのちの世界」とでもいうべき
科学的な理解を超えた
モノの世界の「外」にある実体なのでしょう
肉体の死は
肉体の中に息づいていた「いのち」が
肉体の外へ出て行ってしまうことで
おそらく物理学や生物学が無視している世界で
起こる出来事なのでしょう
そして「私」は
モノの世界とつながっていて
いのち世界ともつながっているけれども
モノの世界の住人でも
いのちの世界の住人でもない
と感じているのです
というのも
まず私の心は
モノでできてはいないからです
そして私の心は
生きることにほとんど関わっていないので
いのちの世界に住んでいるわけでもないからです
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