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2013年01月12日(土)
教育委員会の役割で考える
[つぶやき]
1月10日は
まちかどゼミナール2012冬
『教育と社会のこれからを考える』
の三回目でした。
テーマは
「大阪の教育を考える」
橋下徹現大阪市長の教育改革を
どうとらえるのかという話でした
今回のゼミナールを受けるまで
私は
明治5年(1872年)の学制発布から
約140年の月日が過ぎていますが
日本の教育は国家の統一の道具として
機能しつづけている
と思っていました。
けれども
日本の敗戦による米軍の占領下で
教育行政に大きなメスを入れよう
とされていたことが分かりました
その一つが
教育委員会制度の導入
であるようです
占領軍の要請により
教育の専門家たる学校関係者の動向を
見守り確認する組織として
公選制の教育委員会が作られたというのです
というのも第二次世界大戦の悲惨な敗北は
「専門家の暴走」によるもので
「専門家の暴走」を止める仕組みとして
教育委員会を位置づけたらしいのです
ところが数年で教育委員会は
公選制から任命制になり
実質は教育長を筆頭とする
専門家集団が教育を実施し
教育委員会は話し合いの場として
集まっても月に1〜2回程度
それではとても
「専門家の暴走」を
止められないでしょう
私も三重県にいた頃は
現職の三重県教育委員長と
懇意にさせていただいていたのですが
教育委員会の導入の理由が
専門家の暴走を止めることだったとは
想像もしていませんでした
というのも
教育委員長は
元高校の家庭科の先生でしたし…
制度を作るときには
本気になって設計しなければならないし
設計どおりに作ったとしても
その制度が生きたものになるには
本気になって生かす努力を
し続ける必要があると思われます
フクシマの事故を受けて
私たちが真剣に取り組まなければならないのは
敗戦後の反省と同じで
「専門家の暴走」をどう止めるか
であるのかもしれません
そう考えると
今の大阪の教育改革は
法律の専門家が
教育の専門家を管理する
方向で進んでいるのは
歴史の皮肉としか言いようがない
と思ってしまいました
[ameblo]
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