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2012年10月15日(月)
死の灰と共に生きる時代の教育
[つぶやき]
福島第一原子力発電所が爆発してから
もれ出してしまったものすごくたくさんの放射能が心配で
どう考えたらいいのかわからず
やみくもに本を読み情報を集め考え続けてきた
そうして一つ確かにわかったことは
人間は科学技術を推し進めることによって
一時は思い通りの展開を手に入れることができるが
やがて思いがけないしっぺ返しをくらうということだ
科学の予想は必ず外れるからだ
そもそも明日の天気予報すら当てにならない
10年後20年後のことなど当たる訳がない
ならば
10年後20年後に困ったことになりそうなことに
手をつける資格は人間にはないということだ
100年後まで危険が残るかも知れないことはもちろん
1万年後・10万年後も危ないだろう放射性廃棄物を作ることは
とんでもないことだったのだ
ところが現実には
日本だけで数十万トンの使用済み核燃料を作ってしまった
中国はこれからどんどん作りつづけるだろう
この事実と向き合って真剣に考えることが
福島第一原発爆発以降の日本人には必要だ
そんなことを思い続けていたが
幸か不幸か放射性廃棄物の処理は私の仕事ではない
私の仕事は子どもや親とつきあって
いかに楽に真剣に生きていくことができるか
をさぐることだ
仕事とはまったくかかわりのなさそうな放射性廃棄物と
私はどう関わればいいのだろう?
そんなことを心の中で温めていたら
「事実をありのままに見ること」
という共通点が浮かびあがってきた
今度のようなことになったのは
本当は大丈夫かどうかわからないことを
「絶対に安心です」と言い続けてきたからだ
「絶対に放射能はもれません」
「原発は絶対に爆発しません」
「これくらいの放射能は何の影響もありません」
といろんな人がいろんな所で言い続けていたが
「放射能はもれないかどうかわかりません」
「原発は爆発しないかどうかはがわかりません」
「これくらいの放射能で病気になるかどうかわかりません」
と言うべきだと知っていた人がものすごくたくさんいたのだ
その人たちが本当のことを言っていれば
日本で原発を作ることはできなかったかもしれない
教育の現場でよく耳にするのは
「こんな成績では高校に入れない」
「高校くらい出ていなければ仕事がない」
「こんな大学に入ってもろくな仕事にはつけない」
といったことばだ
けれども私は
「学校に一日も行かなくても入れる高校はある」
「高校を出てなくても働いている人はいる」
「大学に入らなくても楽しく仕事はできるかもしれない」
というのが本当だろうと思っている
私の思いを届けつづければ
学校に行かなくても
成績が悪くても
有名な大学に入れなくても
「自分はどんなふうに幸せになろうか?」
と考えられる大人と子どもが増えるのではないだろうか
そして核エネルギーの現場にいる人たちも
本当のことを語りだすことにつながるのではないか
自分が本当だと思っていることを
できるだけ多くの人に届ける人が
増えていくように
さらに
誰かがこう言ったからといって
すぐに真に受けない人が増えていくように
祈りながら生きていこうと思っている
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