学習の語源は、論語にあります。
中国語では次のようになります。
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子曰、學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。
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高校では、たとえば次のように読み下します。
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子曰く、学びて時に之を習えば、また説ばしからずや。
朋有り、遠方より来たり、また楽しからずや。
人知らずして慍(いか)らず。また君子ならずや、と。
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それを日本語に訳すと、普通は次のようになります。
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先生はおっしゃいました。
「教えられたことを受け入れて、
そのたび毎に復習して身につける。
なんと喜ばしいことではないか。
遠くから同門の学友がやって来る。
なんと楽しいことではないか。
人が自分を認めてくれなくても
不満を持たない
なんと君子らしいことではないか。」
と。
簡単に言えば
「よい子にしていると、友達がやってきて、楽しいよ。
不平不満を言わないと立派だね」
なんて感じになって、面白くもなんともありません。
というわけで、私は高校の頃、漢文が好きになれませんでした。
それが、安富歩さん(東大教授)の「生きるための論語」を読んで、
孔子のイメージが変わりました。
高校の授業で習ったときは「もっともらしいことを言う固い人」でしたが、
「深いことを語る、文字通り尊敬できる人」になったのです。
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